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春爛漫、花吹雪に酔いしれて

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2023.04.04

施術の間

春爛漫、花吹雪に酔いしれて

2023.4.02付
【滋賀県甲賀市の小波津式整体施術なら】
いしやま整体サロン連載ブログ第57回
『春爛漫、花吹雪に酔いしれて』

あだなりと名にこそたてれ桜花
年にまれなる人も待ちけり
 詠み人知らず

 桜の花の盛りに、久しくとはざりける人の来たりける時によみける。すぐに散る、気が変わりやすいと大変評判になっている桜の花なのだが、でも、一年に稀にしか来てくださらないお方をだって、このとおり、辛抱強くちゃんと待っていましたよ。わが家の桜を通じて、自分そのものの気持ちを表現していることはいうまでもないらしい。作者は女性であるようだが、彼女もすこしは浮気者らしく、それがかえっておもしろいそうな。桜の花の満開時に、長いあいだ訪ねてくれなかった「人」が来てくれた時に詠んだ歌だという。かの女には浮気者との評判が立っているようだが、けっしてそのようなことはないと打ち消しにかかる、その心は「人」すなわち在原業平が一年に一度しか来てくれないのを待ち続けていたのだと、自らを桜花にたとえて、自らの意を表しているそうな。【古今和歌集・巻一・春歌上・本文解説引用・小学館日本古典文学全集】

諍いの種が生じない古人との対話

 『徒然草』の冒頭で吉田兼好は、燈火のもとで古書を読むことを楽しみにしていると述べた。とかく同時代をともに生かされている現代人とわたりあうと、いろいろ悩ましいことにも遭遇するだろうが、古書をひもときつつ古人と語り合えば、悩ましさは生じない。なにゆえなら、古人はすなわち故人であるから諍いの種が生じないからである。同時代人で全てを共感し合える人は、以外と少ないものだろう。この世に生かされているうちは、人はとかく煩悩の虜でありがちだ。悟りきった聖人などという者は、ほとんどいないといっても過言ではない。また聖人が傍らにいてくれてもまず気づかないし、とりいそぎ物欲を満たしうる衣食住を満足させるためなら、日々あくせく命を縮めんばかりに無理しつづけるのが落ちかもしれない。人はストレスさえ無ければ、長命を保持できるらしい。死ぬまで健康に歩いて125歳で往生する、この目標はおもしろいかも。

チャットに篭められた個々の想い

 同時代を生きる世界中の人々から、お互いに共感しあえる心の友を得たいのならSNSはうってつけかもしれない。それが無かった頃は、どこに自分と共感しあえる人がいるのか皆目見当がつかなかった。ある人を一定期間フォローしていると、その人の投稿内容・いいねマークによって、その人がどのような嗜好の人かおぼろげにもせよ分かってくる。初対面早々いきなりチャットで日常的かつ散文的な内輪話にのめり込むと、どちらかには時間の無駄ともいえそうな抜き足ならない事態も生じかねない。チャットで心の友との交流を楽しみたい、チャットで精神性を重んじたい人には、その意に反して朝昼晩に食したメニューをいちいち答えなければならないなど愚の骨頂だろう。いたって面倒なチャットに答えなければ、無視しているのかとばかりに食い下がってくる人もいる。もちろんそのような相手は少ないだろうが、エネルギー・ロスは取り戻せない。

和歌折句に秘められた切実さ

 なにはともあれ、人は皆それぞれに日々気ぜわしい。心を落ちつけて、自分のやるべきことに邁進できる生活環境こそが望ましい。かの兼好法師であっても、生きとし生けるものの宿命ともいうべき雑事に翻弄されていた。夜に入って燈火のもとで、古書をひもとき古人と語らいながらも、友人の頓阿(とんあ)と和歌のやりとりをしては無聊を慰めていた。兼好の和歌「夜も涼し 寝覚めの仮庵 手枕も 真袖も秋に 隔てなき風」頓阿の返歌「夜も憂し 妬く吾が背子 果ては来ず 等閑にだに しばし問いませ」。よねたまへせにもほし(米をくれ銭もほしい)にたいして、よねはなしせにすこし(米はなし銭少し)と応じた。折句形式の花鳥風月風流和歌の言葉遊びに秘められた和歌四天王たちの、現実社会を生きるがための切実な哀愁を感じないではいられない。まあ、いつの世も同音委曲の呻き声が聞こえてくる。和歌四天王といえども懐具合は大変だったようだ。

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